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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2010年08月13日

俺は昔・・・で始まる祖父の話

お盆のせいか、母方の祖父の夢を見ました。
内容こそ忘れてしまいましたが。

そういえば、と思い出した話があるのでここに書き留めておきます。
俺は昔・・・で始まる、彼の昔話です。

「俺は昔、鴻之舞から遠軽まで歩いて帰ってきた事がある。
暗く寂しい山道だったので、誰か道連れでもいればよかったのだが、俺独りだった。
だいぶ歩いてきたところで、遠くの方に人が歩いているのが見えてな、俺は嬉しくなってその人に追いつこうと必死で歩いたんだ。
しかし、いくら頑張って歩いても一向に追いつかないのだよ。」

ここまで聞いたところで孫の私たちは、こっ・・・これは怪談だと思ってワクワクしながら聞いてる訳ですよ。face01
そして彼は続けます。

「何とかして追いつきたい俺は一生懸命その人に少しでも近づこう、近づこうと早足で歩いた。
すると、向こうも更に早足になったようで、追いつかないのだよ。
やがて街の明かりが近づいた頃にようやっとその人に追いついたところ、向こうは向こうで追いはぎか何かが自分を追ってきていると思って、それはもう必死で逃げていたそうだ。icon16

笑い話ですか?じいちゃん。face08
勿論孫たち大笑い。face02
まぁ、彼は幽霊の類を信じない人だったので、怪談はまずありえないんですけどね。face06

でも、その時もきっとその人と笑いあったんでしょうね。face02


それにしても、鴻之舞から遠軽って何キロくらいあるんだろう?
しかも徒歩って・・・。face08
昔の若者って凄いですね。

(鴻之舞とは紋別市鴻之舞鉱山元町・・・かつて鴻之舞鉱山があった所)


※これは私が子供の頃の記憶を基に書いている文章ですので、祖父の話した言葉ではない部分が多々ある事をご了承下さい。



  

Posted by ポラリス at 22:15Comments(2)追憶

2009年12月05日

友よ


ジャスコにて。
メーカーは違ったかもしれないが、若かりし頃によく遊びに行った友人の家の冷蔵庫にそれがあったのを思い出しました。
当時は家が近かったので、よく徒歩で遊びに行ってました。
そう、冬場に
「食べるかい?」
と言って登場してきたのがこのうどん。
で、食べたいのを選んでセルフで彼女宅のコンロで作るわけ。
あと、ワインが好きで2人で気合い入れて選んで買ってきたワインのコルクを折ってしまい、仕方なく瓶の中に残ったコルクを落として、こし網でコルクくずをこして飲んだステキな思い出もあったなぁ。

売場にあったうどんから彼女の事を他にも色々と思い出して、無性に懐かしくなりました。

メールしてみようかな。
  

Posted by ポラリス at 02:24Comments(5)追憶

2009年05月09日

ハマナス?

昔、母方の祖父が1人暮らしをしていた頃の話です。
当時、彼の机の上にあったガンガン(缶の箱)の中に昔の写真がいっぱい入っていました。
子供の頃、従兄弟姉妹達と祖父宅に泊まった時にその写真を出して見せてもらった事があります。
アルバムに入っていないってところが、ちょっと凄い感じですね。
その中にですね、明らかに怪しい心霊写真チックなものが一枚あったんですよ。
緑の木々が生えている湖か海のそばを人魂が飛んでる、みたいな。
あなたの知らない世界世代だった(笑)私たちは、
「じいちゃん、これ心霊写真だよ!!」
って大騒ぎ!
でも、祖父は
「そんなもの、それはハマナスの花だ。」
と言い張るんですよ。
いや、赤系ではあるけれど、どちらかというと炎系の赤だし、そもそもどこからハマナスの花が出てきたのかという事と、仮にハマナスだったとしても今で言うなら、ありえないって!って言うようなくらい遠近感を無視した不自然なサイズだったんですけどね。
でもそのおかげで、怖いどころかじいちゃんの強引なこじつけがおかしくて笑い転げていた記憶があります。

その数日後、昼間に妹とそれを見て
「いや~、こんなでっかいハマナスなんてないよね、色だって違うし。」
って言い合っていたけれど、いったいあれは何だったのか、祖父の居ない今ではもう知るすべもないのでした。

  

Posted by ポラリス at 01:53Comments(0)追憶

2008年08月22日

父方の祖父の話

私の父方の祖父は私が幼少の頃亡くなってしまって、今は居ません。
今日は祖母から聞いた彼の昔の話を思い出したので、書き留めておこうと思います。

昭和17年、オホーツク海に面した湧別町のポント浜と呼ばれるところにて
漂着した機雷を爆破処理するとかで、祖父はそれを見に行こうとしていたらしいのですが、
その日に限って仕事の都合かなにかで、そちら方面に向かう汽車かバスに
彼は乗り遅れてしまったのです。
祖母によるとその時の祖父の落胆は、ものすごかったと。
しばらく口も利かず、むくれていたそうです。
しかし、それが結果的には行かなくてよかった事になるとは夢にも思わなかったことでしょう。
そこへ行った多数の人々は、もう二度と帰ってこなかった人が多かったと聞きます。
詳しくはわからないのだけれど、それはその機雷が爆破処理前の移動中に
突然爆発してしまったから。

浜は地獄絵図だったと、私が高校在学時の新聞局が特集した
その事件の記事を見たことがあるのでそう記憶しております。
そして、確かその新聞にはそこにあったハマナスの木にたくさんの花が咲いているようだった、
とも書いてあったような記憶もあります。
もちろん実際は花などではなく、被害者の肉片や血液だったそうです。
  

Posted by ポラリス at 01:27Comments(3)追憶